※ネタバレあり 昭和世代への壮大な心理セラピーーシンエヴァ劇場版感想
エヴァと私
・旧作版エヴァと私
最初にテレビアニメ版を見たのが1997年で、
私はちょうど中学生になったばかりだった。
つまりシンジ達と同世代だ。
それまで見てきたアニメは、多分まだ昭和の雰囲気を残していたんだと思う。
でもエヴァは、私の目にとても新鮮で、お洒落で、
文字を背景に使うジャケットデザインもセンス抜群に感じた。
静止シーンが続くなどの演出や、ラスト二話の展開も斬新だった。
同年公開の劇場版2作も親に連れて行ってもらって観た。
親と一緒で、色々気まずいシーンもあったし、
最後の突き放すような終わり方にもびっくりした。
結局、内容の半分も分からなかったけど、
なんかものすごいものを見ちゃったぞと思った。
「面白い/つまらない」の枠だけでは語れない世界があるって知った。
旧作が放映・公開された当時の日本の空気は、すごくヒリヒリしていた。
少なくとも、当時思春期だった私にはそう感じられた。
地下鉄サリン事件があったり、大震災があったり。
酒○薔薇の事件が起きたときは、テレビは連日その話でもちきりだった。
「いま、14歳に何が起きているのか」
なんて特集が組まれて、リポーターから
「人を殺したいと思ったことがあるか」
という質問を投げかけられた道行く中高生の、
「ないわけではない(=ある)」
という答えに、
スタジオの大人たちは上から目線で大騒ぎしていた。
アホか。
こいつらみんな○ね、と思った。
何もわかってないくせに。
お前だって本当は殺したいと思ったことあるくせに。
肥大していく自己意識への恐怖と、
漠然とした不安と、
大人たちへの不信感が募っていった。
自他の境が溶けてしまいそうになる時、
どこかで心の癒しになってくれたのは、
「良い子の名作」よりも、
ドロドロしててグロくて訳の分からないはずのエヴァだった。
繊細で美しくて神経症的なサントラや主題歌も、何度も聴いた。
当時はアニメ、漫画、ゲームがまだまだ白眼視されていて、
オタクへの風当たりも厳しかった。
でも、大人達や社会がバカにしているアニメや漫画の中にこそ、
真実があると感じていた。
・ 母との対話
そして時は流れて、平成から令和になった。
アニメ、漫画、ゲームは、あれからずいぶん市民権を得た。
オープンになったし、「オタク」でなくとも誰でもゲームやアニメに触れる。
私自身も(とりあえず年齢だけは)大人になり、
漫画もゲームも気負わず楽しめるようになり、
あの頃のヒリヒリした感じはなくなった。
でも、心の中の空虚さ、肝心なものが何か欠落しているモヤモヤは常に付きまとっていた。
2018年の夏、身体が動かなくなった。
正式な診断は受けていないが、今思うと確実に鬱状態だったと思う。
記憶がけっこう飛んでいるので、詳しいことは憶えていない。
漠然とした「行きづらさ」を抱えつつ、
その原因がわからないままなんとか「大人」をやってきたつもりが、
ついに限界が来たと感じた。
心理学の本を読み漁り、色んなセミナーも受講した。
そして、幼少期に母との心理的な繋がりを築き損なっており、
その結果、健全な自尊心が育たず、
反抗期を通した精神的な親離れが出来ていないことが原因だと分かった。
子どものころ、大好きだった母からされたあれこれが、
「教育」ではなく「虐待」であったと認めるのは多大な苦痛を伴った。
衝撃→悲しみ→怒り。
その混乱を超えた先に、親と、その世代に対する「理解」があった。
子どもは親を無条件に愛する。
精神的に不安定だった母を、幼い私は愚かにも「守らなければ」と思いこんだ。
殴られたり、暴言を吐かれたりしたときは「私が悪いんだ」と信じた。
「テストで100点取ったら、また愛してくれる?」
そう思って何も考えず勉強した。
世間で有名と言われる大学にも進学した。
でも、虚しさは増すばかりだった。
そしてつい一か月ほど前(2021年2月)、
母と、幼少期にされて辛かった、怖かった、寂しかったことを話した。
その前にも何度か話していたのだが、まだ肝心な部分が伝わっていなかったからだ。
だから、母とちゃんと話したいと思った。
この数年間で学んできた、心理学やココロのことに関する知識やワークを、
ここでこそ生かすべきだと感じた。
あらかじめ用意した手紙をもとに、4時間かけて腹の内を全部ぶちまけた。
ずっと「いい子」をしてきた私が、怒鳴り、泣き叫び、
30年間ずっと抑圧していた小さな子供の声をようやく伝えきることが出来た。
自分の中の怒りや悲しみを一度思いっきり解放して、荒れて、
それからじっくり見つめることが出来たから、
「ではなぜ、親はそんなことをしてしまったのか?」
と、親を理解したいという気持ちが生まれた。
そして、母がやっと自分の言葉で話してくれた。
昭和という時代背景。
母もまた、自分の親から同じ扱いを受けており、
結婚後も「自分は被害者だ」と思い込んでいた。
世間は怖い、だから勉強してしっかり武装しなければ。
そういうものだと思っていた。
外側の世界に怯えていた。
世界を見る前提そのものが歪んでいた。
結局、「悪役」などいなかった。
加害者と被害者という、二元論はもう終わりにしたいと思った。
だから私も母も、被害者意識を捨てて先に進もうと決めた。
シンエヴァは、昭和世代への壮大な心理セラピー
・裏切りと深い喪失感
・子供たちが欲しかった、たった一つの言葉と対話
・エヴァの呪いー肉体の成長と、精神の成長
・まとめ
終盤のミサト、シンジ、アスカ、そしてゲンドウの姿に最も癒されるのは、
平成生まれの若い世代よりむしろ、昭和を生きてきた人たちだと思う。
(「母と娘」は癒着しやすいけれど(私はこのパターン)、
「父親と息子」は逆に、断絶感があったのかもしれない。
とにかく、「会話が圧倒的に足りなかった」のだ。)
そして、この作品を通して最も癒されたのは、庵野監督ご自身なのかもしれない。
もしかしたら自分の一番見たくないところに向き合って、作品として世に出すなんて、
そりゃ15年もかかりますよ……。
本当に、お疲れ様でした。
以上、自分自身の過去を振り返りながらざっと感想を書きました。
自分自身に寄せすぎかもですが、あくまで私の視点から見たシンエヴァにすぎないです。
また昭和が諸悪の根源だと言うつもりもありません。
全部、自分を構成するのに大切な事だったと今ならわかります。
終盤、皆と決別できたシンジが海辺に座っているシーン。
だんだん色が無くなり、ラフ画になり、絵コンテになってしまう。
そして旧作との「特異点」であるマリが落下してきて、
世界は新たな色を取り戻す。
シンジ<あなた>の認識ー世界を観る視点が変われば、新しい世界が見える。
過去に向き合えたなら、そこから新世紀が始まる。
エヴァンゲリオン、そして制作に携わったすべての人<チルドレン>に、
ありがとうございました。
2021.03.17
Keju